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一位一刀彫とは

各地に一刀彫と名の付く工芸が存在しますが、今回紹介するのは飛騨高山に伝わる一位一刀彫についてです。一位一刀彫の歴史や文化などを詳しく紹介いたします。

一位一刀彫の歴史

江戸末期に活躍した、高山出身の根付彫刻師、松田亮長が一位の木目の美しさに着目し、蛙蛇、亀鶏、動物等の作品を切味鋭いノミや小刀の刃痕を生かした作品を作り出したのが一位一刀彫のはじまりとされます。その後、数々の名人が現れ今では根付だけでなく置物や香合など多くの一位を使った彫刻が作られるようになりました。

一位一刀彫の一刀彫とは一本のノミで彫りだすわけではなく、一刀一刀心をこめてノミ痕を残すことからその名前がついたとされます。木目が美しく、年月が経つにつれ茶褐色になり艶が出てくる「一位の木」を材料に、加飾、着色をせず、彫刻刀の技のみで鋭く彫り上げるのが特徴です。また、良質な素材を選び木目の流れ、赤太(あかた)、白太(しらた)といった木の色合いを巧みに利用する、それが一位一刀彫の技となっています。

岐阜県の木にもなっている、「一位の木」の語源は、かつて、天皇即位の折りに「笏(しゃく)」として献上したところ、他の材より美しく質が高かったので「正一位」という最高の位が与えられた等の説があります。

現在の一位一刀彫

一昔前は飛騨高山の一位一刀彫といえば結婚の結納で使われた高砂人形でした。また干支や七福神のお面などもよく作られました。現在も継続して制作されていますが、だんだんと少なくなっているのが現状です。理由は建築様式の変化(和式から様式へ)が一番の影響です。そういった中でも伝統を残すために新しいデザインも作られるようになってきました。

未来に残せる作品がこれからも少しでも増えていくことを期待したいですね。

 

まとめ

山紫水明の地、飛騨高山に伝わる一位一刀彫は彩色をしないため派手さはありません。しかしながら、長く飾れば飾るほどに味のある愛着のある作品となっていくのではないでしょうか?
高山を訪れた際には是非一位一刀彫を見てみて下さい。

# 知る・学ぶ

2021-06-17

知っておきたい新築祝いの相場

友人や職場の上司・同僚が家を新築することになった時あなたは何をしますか?何か贈り物をしようと考えたとき、どんなものがいいか?とても悩みますよね。今回は贈る側、貰う側それぞれの立場に置き換えてどんなものが好まれるかを考えてみましょう。

新築祝いの相場

まずはじめに、相場というものはあくまでも平均値ですからお世話になった方への環境の違いがあることを踏まえ、必ずしもこうであるべきとは考えないことが大切です。

一般的な例としては

友人へ送る場合   5000~10000円程度

親戚や兄弟     10000~30000円程度

会社として     100000~300000円程度

親族と友人などの違い

新築祝いではお金を包む場合とプレゼントを贈る場合に分かれることがあると思います。お金を包む場合はプレゼントを選ぶ等悩む必要がなく楽だという方もいるのではないでしょうか?
プレゼントと違い使わずに押し入れにしまってしまうような事はおこりませんが渡すほうとしては少し躊躇されるかたも多いため、基本的には親族などの近い方へはお金を包むことが多く友人や上司等にはプレゼントを贈ることが多くなっているようです。
友人や上司などの場合は複数人からまとめてという意見も多いです。

新築祝いのタイミング

日本ではお祝いをする場合その記念日の前に行うことが一般的ですここで注意しておく必要があるのは 新築祝いの場合は完成してから少し時間をおいてから贈る という事です。
引っ越し当初は荷物の整理などがすんでおらず段ボールに囲まれた状況です。そんな中プレゼントやお祝いをもらっても落ち着かず、せっかくの好意も半減してしまう可能性があるからです。
タイミングとしては1か月~2か月ほどたった頃がお勧めですが新築お披露目会などがあった場合はその際てぶらでいかれるよりはそのタイミングでわたされるのが良いと思います。

相場の特例

上記で記したように一般的な相場はありますが 特にお世話になった方や自分が御祝時にもらった内容が相場より高かった場合など、関係をしっかりと把握しお返しの際はそれと同様以上のものを贈ることが相手にとって失礼にならない条件です。
友人であっても100000円以上のものを贈ることもあるでしょうし、会社などの場合は個人と違い会社を代表して贈ることになりますので少し背伸びをするぐらいで対応していることも多いです。

まとめ

新築祝いは一生に何度もあるお祝いではありません。これから新しい生活をスタートするにあたってお互いが良い関係を続けれるように御祝する側される側双方が感謝できるタイミングや内容にしていくことが大切なのではないでしょうか?

 

 

 

# 風習・文化

2021-02-13

一位の木ってなに?

一位(いちい)の木とは

学名:[Taxus cuspidata]

 

一位は緑葉針葉樹で一位科一位です。雌雄株ですので雌株には赤い実がなります。一位の赤い実はほんのり甘くくせがないので子供の頃には食べた記憶がありますが後に聞いたのですが種は毒素があるそうで、、、種をたべなくて良かったと思います。一位の木はあまり見ることがありません。 群生地もあまりなく山の谷のそばにひっそりと生えている木です。 成長が遅いので庭木にも使用されますが30㎝以上の大きな木となると100年以上かかります。

分布図的には日本全土に及びますが木材市にでてくることがほとんどなく今では北海道や飛騨高山、東北地方などでまれに出品されています。そのため価格が高騰し近年さらに貴重な素材となっているようです。

大きな材はめったに手に入りませんので今後ますます価値が上がると思われます。一位を使った主なものは 神主(神官)が使う笏(しゃく)が有名で飛騨高山の伝統工芸、一位一刀彫等もあります。

 

一位の木はワシントン条約に指定されていた!!

 

平成16年に以下の内容にて提案され現在指定されています

アジアのイチイ種:附属書Ⅱ新規掲載(米国・中国共同提案)

(1)      現在、附属書Ⅱに掲載されているヒマラヤイチイ(抗ガン剤の原料が抽出される)の保護を強化するため、ヒマラヤイチイとの判別が困難なアジア地域のイチイ種を附属書Ⅱに掲載する提案。

(2)    我が国としては、日本のイチイが国際貿易により絶滅の危機に瀕するような状況にはないこと等から反対したものの、我が国と韓国以外に反対する国はなく、支持する国が多数であったことから、承認された。

(3)    今後、これらの種を輸入する際には、輸出国の輸出許可証が必要となる。また、日本のイチイに関しても、輸出の際には輸出許可証の発出が必要となるが、国内取引には規制はない。

(林野庁木材貿易対策室HPより)

別途商品除外規定が設けられていますので一位を使った製品などは国内海外問わず制限がありません。ワシントン条約記載に関してはあまり知られていませんがそれだけ貴重な木ということがわかります。 建築材や家具材としても年数が数百年後となり植樹ができていないのでますます貴重な素材になっているようです。

 

一位の仲間

一位の変種というものがあるのはご存じでしょうか?伽羅木(きゃらぼく)といい一位と違って低木で庭木などに使用され幹は直立せずに斜に立ちます。根元から多くの枝が分かれて横に大きく広がるのが特徴です。この名前の由来はインドの伽羅の香りに似ていることからつけられたようです。碁盤や将棋盤につかわれる榧(かや)も一位科になり木目が美しくとても高価な素材として知られています。

 

まとめ

一位は世界にもありますがアジアの一位は木目が細かくとても美しいのが特徴です。原木を見る機会は少ないですが、庭木としては流通していますので赤い小さな実をつけたクリスマスツリーのような木を見かけた際は一位かもしれませんので調べてみるのも面白いかもしれません。

# 知る・学ぶ

2021-01-13

端午の節句の歴史

日本には五つの節句がありそれぞれに歴史や言い伝え、風習があります。その中でも桃の節句、端午の節句はよく知られ日本のよき文化として伝わっています。
今回は端午の節句について考えてみたいと思います。

古来じつは女性の節句だった端午!

 

端午の節句といえば男の子の節句ですが実はその昔は女の子の節句だという事ご存じでししょうか?

端午の節句は元をたどると中国からきています。中国では端午の日に穢れを祓い厄災から逃れるための行事が行われました。後に(午)は五に通じるため、五月五日を端午と考えるようになり、それが日本にも伝わったそうです。 まさに語呂合わせですね。
日本では端午の頃田植えの季節に重なり、田の神を祭るために菖蒲の葉を屋根に書いた家に籠る行事(穢れにふれぬよう身体を清め、家に籠って過ごすこと)が行われていました。これと中国の祓えの行事とが結びつき田の神を祭るのは女性の役割だったことから古来端午の節句は女性の節句とされていたそうです。

ではいつ男の子の節句に変わっていったのでしょうか?これは日本の武士の存在がかかせません。武士の台頭で菖蒲を「勝負」や「尚武」にかけ縁起をかつぎ女の子の節句が次第に男の子の節句へと変化、兜や武者人形(五月人形)を飾る現代の形になったそうです 今では こどもの日 として認知され こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する日として制定されています。

風習の歴史をたどると地域の伝統や文化にふれることができとてもおもしろいですね。

鯉のぼりをかざるようになったのは身分制度の違い?

端午に武家では家紋の幟を一対、中国の魔除けの神である鍾馗を描いた旗を立てるのが一般的でしたが身分の厳しかった時代に平民が武士と同じものを飾ることはゆるされなかったため鯉を描いた幟を飾ったのが始まりのようです。

東京の伝説では武士ではない子供たちには飾るものがなく、かわいそうに思った人が家紋の幟の変わりとなるものはないかと考え、子供たちに人気の鯉の幟を作ったのが始まりという内容の物語や、幟の上にさらに小さな旗をつけ、その中に小さな紙製の鯉をつけたものがあり、それが人気となって大型化したという物語もあるようです。

 

まとめ

歴史を辿ると端午の節句は女の子の節句から男の子の節句へと変化してきたことに驚きます。 歴史のターニングポイントは現代の風習にもつながりとても興味深いです。
風習とともに歴史をふりかえってみるのも新しい発見があるのかもしれませんね。

# 風習・文化

2020-11-02